PhilosophyLOOPの想い

想像力を原動力に、若者と荒野を進む。

LOOPは今年度開校17年目を迎える学習塾です。私の最初の塾であるWILLに通ってくださっていた名古屋市在住の生徒の保護者の方から、「名古屋にも塾をつくってみたら」と言っていただき、開校に至りました。はじめは、塾生はそのお子様とご友人、WILL卒業生の紹介者だけと真の小規模塾としてスタートしました。イームズのDSRを9脚買い、それに合う机を探したのを昨日のことのように覚えています。『受験英語 Trans』は1対1のマンツーマンで、たった1人の生徒は愛知淑徳高校に通っていた、先の保護者の方のお嬢さん。努力家で、階段をひとつひとつ、しっかりとした足取りで上って行くように勉強していたのをよく覚えています。上智大学合格1名がLOOPのはじめての合格実績となりました。WILLは「私がつくった塾」であるのに対し、DSRの数が24になり、教室が2つになった今でも、LOOPの原点は「みなさんにつくっていただいた塾」だとの思いです。

現在は東海、南山男子・女子、滝、愛知淑徳、愛知、名古屋、金城学院等の私学の生徒を中心に、旭丘、明和、菊里、向陽、瑞陵、桜台、名東等の公立高校の生徒約120名が、進路実現のために日夜勉強に励んでいます。近年は京大や国公立・私立の医学部、名大、早慶などに安定して合格者を出せるようになりました。私はよく、はじめて面接に来られた中・高校生と保護者の方に、「LOOPの自慢は生徒です」とお話しします。

以前、ある生徒のお母さんに言われたことがあります。
「先生の塾に入ってから、目標が定まって、以前のこの子からは信じられないくらい勉強をしている。ここまでひとつのことに集中し、努力をすることができれば、この子は社会に出て、どんな職業についても 通用するはずだ。私にとっては受験の結果よりも、この子のこの姿がすべてだし、この子には一生の財 産になると思う」

夢が実現するとすれば、それは人が眠っている間ではなく、字義通り現実の中だけです(「実現」という文字を逆にしてみればわかります)。ロバート・ケネディの言葉に idealism without illusion 「幻想なき理想主義」というものがあります。幻想と理想、両者の違いは現実に立脚しているか、否かの違いです。幻想は現実とは無関係な空想であり、そして、それ故に現実に覆い被さり、現実を見えにくくします。理想とは、現実を基盤にしながらも、それを唯一無二のものとは捉えず、そこにいながらも「外」を求める者の希望です。もちろん私はここで、夢など見るな、現実しかないのだという現実至上主義の立場をとるわけではありません。それどころか、現実をひっくり返すためにこそ、現実を知り、それと対峙するしかないといいたいのです。歴史を見ても、変わるはずがないと思われた現実を変えてきたのは常に、現実という名の壁の重さを痛いほど知りながら、それを冷静に見つめ、理想の実現を信じ、揺るぎない歩みを続けた者たちでした。「内部」を徹底的に遡及することなく、「外部」を求めても、そこにあるのはまた別の現実=「内部」です。

「明けない夜はない」(現実的な意味ではなく、抽象的な意味で)、「ドアをノックすれば、向こう側に新しい自分がいる」、もっと単純に「やればできる」、「何とかなる」、「夢は叶う」。幻想に身を置く者はまるで現実などないかのように、軽口をたたきます。そして、覚悟を伴わないこうした言葉はかえって、現実を強堅なものにするのです。こうした幻想を持つ者が増えれば増えるほど、現実は安泰だからです。現実がもっとも恐れるのは、理想を胸に抱き、地味な反復に耐え、一歩一歩確実な歩みを続ける者です。誰に何といわれようとも、いつかくるともわからない理想の実現を信じ、愚直なまでに歩みをやめない者の勇気です。まるで、同じ場所をたたき続ける雨の滴が、いつの日にか岩をも溶かすように、現実に基づく理想だけが世界を変え、不可能を可能にするのです。

精神分析家のジャック・ラカンは言っています。
「自身の問いに答を出すのは弟子自身の仕事です。師は「説教壇の上から」できあいの学問を教えるのではありません。師は、弟子が答を見出すまさにそのときに答を与えます」

<教える>ー<学ぶ> という関係の豊かさは、それが固定的なものではなく、その関係を紡ぐ者たちの数だけ、そのあり方が存在するからです。私たちの仕事は、生徒が「答を見出すまさにそのとき」までずっと、彼らのそばにいることです

塾長 梶川太郎